旭化成のタイ撤退:アクリロニトリル事業に隠された当初の期待と現実

1. 序章: 東南アジア市場への期待

2006年、旭化成はタイの石油・ガス大手PTT Global Chemical(PTTGC)と手を組み、合弁会社「PTT Asahi Chemical Co., Ltd.(PTTAC)」を設立しました。このプロジェクトは、旭化成の革新的なプロパン直接酸化法を活用し、アクリロニトリル(AN)の効率的な生産を目指すものでした。

当時、東南アジア市場は経済成長の中心地として注目され、各種化学製品への需要が急増していました。旭化成はこれを絶好の機会と捉え、PTTとの協力で東南アジア全域への供給網を築く計画を立てました。

目的と期待:

1. 市場拡大: ASEAN諸国の成長を背景に、アクリロニトリルの需要増加を見越していた。

2. 製造効率の向上: プロパンを原料とする新しい製法により、コスト競争力を高める。

3. 持続可能性: 新技術を使った環境負荷の低減。

合弁事業の計画では、アクリロニトリルの年間生産能力は約20万トンに達し、ABS樹脂やアクリル繊維など広範な産業分野への供給が期待されていました。また、PTTGCがナフサクラッカーを通じて原料のプロピレンを安定供給する体制を確保し、事業の安定化を図るという見込みがありました。

2. 発展: 現実の壁に直面したアクリロニトリル事業

しかし、事業開始から数年が経過する中で、楽観的だった当初の見込みは厳しい現実に直面しました。

(1) プロピレン供給問題とコスト高騰

PTTGCからの原料供給は、当初の計画ほど安定していませんでした。PTTGCが自社の下流製品の生産を優先したことで、PTTACへの供給量が不足する事態が発生しました。その結果、旭化成はプロピレンを市場から高価格で調達せざるを得ず、事業の採算性が圧迫されました。

さらに、原油価格の高騰に伴うナフサ価格の上昇がプロピレンの調達コストを押し上げました。このようなコスト増加は、競争力の低下につながり、タイ拠点の事業収益性を悪化させました。

(2) 中国市場の影響と国際的な競争激化

同時期、中国では大規模なアクリロニトリル生産設備の新設が相次ぎました。この過剰供給により、アクリロニトリルの国際価格が急落。タイ拠点からの輸出品の価格競争力がさらに低下しました。

特に中国企業は、国際市場向けの価格競争を仕掛けることで、東南アジア市場における旭化成のシェアを奪いました。

(3) 新型コロナウイルスや地政学的リスクの影響

2020年以降、新型コロナウイルスのパンデミックが世界経済を直撃しました。需要の落ち込みやサプライチェーンの混乱が事業に追い打ちをかけました。また、地政学的な緊張の高まりが、貿易環境に不確実性をもたらし、長期的な事業運営をさらに困難にしました。

3. 結末: 撤退決定とその影響

2024年11月15日、PTTACの株主総会で事業終了が正式に決議されました。旭化成は、タイにおけるアクリロニトリル事業からの完全撤退を発表し、設備の撤去も進める方針を示しました。

(1) 撤退の詳細な決定プロセス

撤退決定に至るプロセスでは、以下の要素が重視されました:

• 収益性の回復見込みが低いこと。

• 市場環境が改善しない中での固定費負担増加。

• 合弁パートナーであるPTTGCとの協議を経た合意。

最終的に、タイでのアクリロニトリル生産が持続可能でないとの判断に至り、撤退が決定されました。

(2) 旭化成の今後の東南アジア戦略と教訓

今回の撤退は、旭化成にとって東南アジア市場への挑戦の挫折を意味しますが、同時に新たな戦略を構築する契機ともなります。同社は、収益性の高い分野に経営資源を集中させることで、競争力の再構築を目指しています。

一方で、国際市場におけるリスク管理や現地パートナーとの関係構築の重要性が再認識され、今後の事業展開において貴重な教訓となるでしょう。

(3) タイ国内および業界全体への影響

旭化成の撤退は、タイ国内の化学産業にとっても影響を与えました。特にPTTGCにとっては、アクリロニトリル生産拠点の喪失が関連事業への波及効果をもたらします。一方、地域全体としては、他のプレイヤーによる供給増強が市場を補完する形になると考えられます。

まとめ

旭化成がタイで展開したアクリロニトリル事業は、当初の期待とは裏腹に厳しい現実に直面しました。撤退に至った背景には、プロピレン供給問題、中国市場の影響、新型コロナウイルスの影響など、複数の要因が複雑に絡み合っています。

しかし、この撤退は単なる失敗ではなく、旭化成にとって今後の成長戦略を再構築するための貴重な経験となるでしょう。グローバル競争の中で、持続可能性と柔軟性を兼ね備えた戦略が求められる中、旭化成の次の一手が注目されます。

出典

1. 旭化成株式会社「持分法適用関連会社であるPTT Asahi Chemical Co., Ltd.におけるアクリロニトリル事業等の撤退方針決定のお知らせ」

2. 化学工業日報「旭化成、タイAN撤退へ 生産設備10月停止・合弁も解散の方向」

3. The Chemical Daily「タイPTTGCと旭化成の合弁事業、収益悪化で終了」

4. Asahi Kasei Corporate Reports, 2023-2024

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